演劇と、ダンスと、子どもの遊びと、手芸と、読み物と書き物が好きです。好きなものいろいろをつれづれなるままに。
昨夜(つっても真夜中でしたが)から、創作意欲に目覚めてお話を書いています。
先日、ネオテニー・ジャパンで観た、鴻池朋子さんの「Knifer Life」に刺激され、そこでぐるぐる考えてたメモを引っ張り出し、文章にしてみたら、妙に「赤ずきん」寄りになってしまった。
けど、久し振りでそこそこ愉しいです。
もう、結構な年数をこうやって文字書いて過ごしているけれど、自分の中から忠実に取り出したものってどれくらいだろう、と少し思いました。
何と呼んだらいいのか、衝動めいたものから、手を伝わって文字になるまでに、なってから紙に固定されるまでに、曲げたり贅肉をつけたりしていることが、多いんだって、書きながら気付けるようになったかもしれない。
話の方向性としての収まりのよさとか、耳ざわりのよさとか、気にするって意識もなく傾いて、出来上がってから「ナンか違う気がするけど、展開上引き返せない」みたいな読み返し方をしてたりしてて。
昨日書いたものは、特に誰に見せようとか思ってなくて(書きましたって宣言はこんなところでしているけども)、書きたいように自分の好きなものを書いたと思う。
まだ完結の目処も立たないけれど、しばらく大事に弄繰り回してみようかと思います。
先日、ネオテニー・ジャパンで観た、鴻池朋子さんの「Knifer Life」に刺激され、そこでぐるぐる考えてたメモを引っ張り出し、文章にしてみたら、妙に「赤ずきん」寄りになってしまった。
けど、久し振りでそこそこ愉しいです。
もう、結構な年数をこうやって文字書いて過ごしているけれど、自分の中から忠実に取り出したものってどれくらいだろう、と少し思いました。
何と呼んだらいいのか、衝動めいたものから、手を伝わって文字になるまでに、なってから紙に固定されるまでに、曲げたり贅肉をつけたりしていることが、多いんだって、書きながら気付けるようになったかもしれない。
話の方向性としての収まりのよさとか、耳ざわりのよさとか、気にするって意識もなく傾いて、出来上がってから「ナンか違う気がするけど、展開上引き返せない」みたいな読み返し方をしてたりしてて。
昨日書いたものは、特に誰に見せようとか思ってなくて(書きましたって宣言はこんなところでしているけども)、書きたいように自分の好きなものを書いたと思う。
まだ完結の目処も立たないけれど、しばらく大事に弄繰り回してみようかと思います。
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