忍者ブログ
2024.05│ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
演劇と、ダンスと、子どもの遊びと、手芸と、読み物と書き物が好きです。好きなものいろいろをつれづれなるままに。
2024年05月17日 (Fri)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2008年08月21日 (Thu)
 行って来ましたよ、「水俣・新潟展」(今まで、タイトル逆にしてた気がするが)。

 辛くなるだろうなーって思ってて、やっぱり見終えて辛くなったけど、良かったな。行って、良かった。

 いつも帰りのバスに乗るバス停にね、ポスターが貼ってあったんです。
 だから、毎日どうしよっかなあ、でも休むの優先かなあって思っていた。どうしても行ったらイロイロ考えるだろーな、とかわかってたし。正直、しんどいな、って。
 でも、結局「知ることから始めよう。」というポスターに書かれた一文が、背中を押してくれました。
 
 なんか、捕まえ損ねちゃいけない気がしたのね。
 新潟も、いわゆる新潟水俣病と言われる公害病が発生している地域です。だけど、私の知識と言えば小中学校の社会科程度。それが、勿体ない気がして。
 ちょっと話が飛びますが、先日長岡の空襲の話を地元のテレビ局がドキュメンタリーにまとめていて、その番組を見ながらも「身近な話なのに知らないなあ」って思ったんですよ。
 9条を活かして平和な世界を、なんて活動してるのに、同じ県内であった悲劇をきちんと知らないんだなあって。もちろん、ヒロシマやナガサキの原爆被害について知るのも大事なことですが、足元がおろそかって言うか、まず、新潟で起きたことをちゃんと知るべきなんじゃないのかなあって。
 そんな思いがベースにあったせいかもしれない。

 実際は、ホントに「水俣」の展示がメインだったので新潟のそれについては展示室が別で、ちょっと時間が足りなくて見て来れなかったんだけども、基本的なところをまずとらえるっていう意味で、良い経験させてもらったと思います。

 展示の最後に、亡くなった方たちの遺影が集められているブースがありました。
 ぐるりと円形を描く形で並べられた小さな女の子や、網元だったおじいさんや、写真さえ遺すことなく亡くなった方の仏壇の写真。
 すごく「見られてる」気がした。
 長野にある戦没画学生の美術館「無言館」なんかでも似たような感覚になったことがあるのですが、どう生きるかを突きつけられるというか、自分が生きていることに責任ってそれ自体発生するもんなんだな、と思わせられる。
 忌まわしい物事の犠牲になった人たちを前にするとき、やっぱり誓わなくちゃいけない気がする。繰り返さないことを。
 水俣病以外の公害病にも、病気それ自体に苦しめられたり、理解されずに差別されたり、認定に際して批判を浴びたりという背景がきっとあって、それら全部について私一人が活動できたりするわけじゃないんだけど。
 少なくとも、知ることと、忘れないことはできるから。

 何でも、問題の根っこは同じじゃないのかなあ、と思うんだけど。
 たいせつなものはなんですか?ってこと。
 生活が便利になれば、こんなに悲惨な事態を引き起こしてもいいんだろうか。
 いいわけないよな。

 この「水俣展」は東京とか、大阪とか名古屋とか、各地で行われていて、そのポスターも展示されていました。そもそも写真が良いんだけど、ポスターがまた良い。
 沖縄や広島のときのポスターには「もうひとつの悲劇」みたいな(性格な文言忘れたけど)一文が書かれていて、地上戦や原爆のことが意識されているんだな、って思うのとともに、やっぱり問題の根幹がどっか繋がってるんだなーって感じました。
 もともと文章がすごく好きな石牟礼道子さんの『苦海浄土』も読んだことなかったので買ってきました。今の勢いでないと取り組めない気がするので。

 ……そして、やるべきことがどんどん増えていく。うん、知ってたけどね。
PR
2008年08月15日 (Fri)
 とうとう、今日一度も口に出せなかった。

 けど、お昼寝のときの子どもたちの顔とか思い出すと、まあ、それでも思いは馳せてしまいますね。
 守るよー、あたし大人だからね。
 昂奮すると人の話ぜんぜん聞かないで走り回っちゃうキミも。
 自分だけの論理から離れられなくて、友だちと衝突してばっかりだけど、たまにお兄ちゃんな顔見せるキミも。
 みんなのスケープゴート的にいつも標的にされちゃうけど、誰とでも遊べて、めげない、って何よりの才能を持ってるキミも。
 まもるからね。キミたちがキミたちでいられる場所。

 職務中に子どもとケンカしてる未熟モノだけどさ。
 ごめんね、精進するからゆるして。
 ……あたしってばか、権力者が感情に走っちゃいけないんだよ。原因は向こうだっつったって、どう考えてもあたしが悪いし。傷つけられたって怒っちゃいけない立場なのになあ。
 あんたたち、それでいいからね、って、てのひらでしか伝えられない。
 力の抜けきった寝顔に、わかってくれたんだって思ってもいいかなあ。あたしが何を考えてようが、関係なく騒ぐ連中なのは知ってるけどさ。

追伸:1日目と3日目の喜多方観劇記録rush seatに上げました。リンクから是非に覗いてみてくださいませ。
    生意気放題な物言いと、すごく長いシロモノが混ざってるのは許して。
2008年07月23日 (Wed)
別に、唄の道を目指しているわけではないけれど、確かに私にとってその人はトップランナーである。
行きたい方向の、ずうっと先を疾走しているひと。

椎名林檎嬢。
母である人に(一応年上でもある人に)嬢、もないもんかもしれないが、彼女は林檎嬢、だと思う。やっぱりどう転んでも。
私は売れている人が好きじゃない、というひねた性格をしているので、彼女がブレイク(っつー表現も古いな、しかし)していた大学時代は、友人にCDを貸してもらうくらいのお付き合いだった。
唄そのものは、結構がんがん聴いた。
林檎さんその人よりもぶっちゃけ「椎名林檎のファン」が嫌いだったと言っても、あんまり間違いではない。
彼女に心酔する人たちは、どこか同じ空気を纏っている気がした。
今、自分の入れ込みようを思うと、同属嫌悪なのかもしれないとも思うけど。

で。
何で椎名林檎の話をしているのにカテゴリ分けが「平和をかんがえる」なのか、というと。
彼女が9.11が復帰のきっかけである、という話をしていたからだったりする。
「なんでこんなことが起こるんだろう、どうして私は止められなかったんだろう」と思ったのだそうだ。
「止められるわけではないけれど、感じたことを自分が出来る音楽という手段で音楽が通じる相手にはせめて伝えて行きたい」と思ったのだそうだ(以上、うろおぼえ)。
今まで全然意識せずに聴いていたけど、その話をきいてからの「夢のあと」は、全然違う唄に聴こえた。

彼女のLIVEを観たことは、一度しかない。
あとは、映像でしか、唄う彼女を観たことはないのだけれど。
この人すげえ、と思ったのは、間違いじゃなかった。
レベルが全然違うし、彼女が用いている手段は、私のものとは種類が違うけれど。
こんなふうになりたい、と思ったエッセンスは、間違ってなかった、と思った。

自分の伝えたいことを、自分自身の生み出すもので、自分に出来る最高のパフォーマンスで伝えられるよう努力する。
やっぱり林檎嬢は、私のトップランナーである。
Prev1 2 
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
[03/25 ふみ]
[01/12 さっちゃん]
[10/24 なっちゃん]
[10/19 ふみ]
[10/18 ALISA]
最新TB
プロフィール
HN:
あさ菜
性別:
女性
職業:
学童保育指導員
趣味:
演劇鑑賞、読書
バーコード
ブログ内検索